道徳上きわどいテーマ(毛皮、クローン技術、安楽死など)に関する議論すべてに当てはまることだが、正しいか間違いかという判断は、あるひとつのものに大きく左右される。それは、世論である。あるスタイルが他人にどれだけ不快感を与えるかは、寄せられる抗議の量で測られることが多い。ラベルに「アメリカにはムカつくぜ」とプリントしたジャケットに複数の人間が異議を唱えれば、それは商品ラインから外されることだろう。もちろん、これが潮時だというような決まった数はない。デザイナーは、たとえば、一五三番目の苦情が出るまで待ってから棚の服を下げるわけではなく、ケチがついたかなと思えるくらいの時点で撤収を始めるのだ。ファッション・ショーで人に不快感を与えることと、店頭で人に不快感を与えることとは別物である。ショーの場合なら、少しばかり逆宣伝になってしまう程度で済むかもしれないが、棚に置かれた商品が顧客を怒らせれば、そのデザイナーのビジネスそのものが危うくなりかねない。そうなったら一大事である。ファッションみたいな無害なものが、大勢の人間にそれほど強い感情を呼び起こすなんて、なぜなのだろう?その理由は意外に単純だ。ファッションは元来、挑発的なものである。少なくとも、そうあるべきだ。だが、限界に挑戦するのと、ただ無分別なのとは違う。今のような〈政治的正当性〉の時代には、みんな宗教や人種といった危険な問題に関してあまりに過敏になりすぎているので、ファッション・アイテムも正誤を判断しかねることがあるのだ。