南方熊楠の場合

2011.05.16

南方熊楠の伝記を読むと、野山を独歩したり、人を殴ったり、あるいは平気で人前に醜態をさらしたり、とかくその奇行・蛮行に関する記述がやたらと目につく。さらには、南方の学問業績がそのような奇行・蛮行と表裏一体のものとして論じられることが多いため、その偉業が何か摩詞不思議な能力の賜物であるかのように錯覚してしまう。もちろん、南方が超人的な能力の持ち主であったことは疑いようがない。だが、その伝記をつぶさに読んでみると、彼は一見無秩序に見える生活のなかで、じつに理に適った勉強をしていたことがわかる。ほかの偉人よりも多くの紙面を割いて、南方の英語について考えていくことにする。南方熊楠は、一八六七(慶応三)年四月一五目、金物商・南方弥兵衛、母すみの二男として和歌山市に生まれた。自ら語るところによれば、「幼少より学問を好み、書籍を求めて八、九歳のころより二十町、三十町も走りありき借覧し、ことごとく記憶し帰り、反古紙に写し出し、くりかえし読」んでいたという(「履歴書(矢吹義夫宛書簡)し。当時の百科事典『和漢三才図会』一〇五巻をはじめ、『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本草』も十代前半にすべて書写し終えている。彼の手になる写本の一部は、いまも和歌山県白浜町の南方熊楠記念館に展示されている。のもの南方の博覧強記の原点が少年期の筆写癖にあることは、多くの伝記が指摘するとおりである。だが私は、彼の卓越した語学力の基礎もまたこの筆写癖によって築かれたと考える。すなわち、自宅にある本を見ながら写したのならともかく、よそで読んだ本を自宅で書写するとなると、まず尋常ならざる注意力で原文を暗記しなくてはならない。そして、帰り着くまでに何度も何度も文章を復唱していたはずだ。最後に、家に帰ってから帳面の上に覚えた文章を書き写す。まさに全身を使った筆写修業であり、これほど効率よく語感を育てる学習法はなかなかない。南方は、新渡戸稲造、岡倉天心、斎藤秀三郎ら、同時代の英語達人だちと違い、特別に早期の英語教育を受けてはいない。彼が最初に英語を学んだのは、一八七九(明治一二)年、一二歳で和歌山中学に入学してからのことである。これは、基本的にいまの多くの日本人が英語学習を始める年齢と変わらない。だが、筆写癖によって養われた語感によって、確実に英語力をつけていったものと推測される。すでにこの中学時代に、博物学、解剖学、人類学などに関する英語の原書を読んでいたらしい。さらに、南方本人が語るところによれば、彼は中学時代にダナというアメリカ人の書いた『金石学』を辞書を引きながら翻訳し、それによって英語力を向上させたという。英語学習にとって訳読がいかに効果的であるかを示す好例であろう。最近の英語教育では、もっぱら従来の文法・訳読中心の英語の授業が批判の対象になることが多いが、現在の日本の英語教育の低迷をもたらしたものは、むしろ過去三〇年の間に徐々に進行してきた実践的コミュニケーション重視のカリキュラム改革である。文法・訳読が悪いと言っても、南方をはじめ、それを中心とした学習法で英語を学んだ昔の偉人以上の英語の使い手が、その改革後にほとんど生まれていないのだからお話にならない。
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