戦勝景気に沸く日本は、三七年四月には中山太陽堂から「クラブ洗粉」、同月平尾賛平商店から「乳白化粧水レート」、八月長瀬商店の「赤門白粉」、一一月資生堂の「かへで」「はな」など化粧品業界各社から新製品の発売が相次ぐ。華やかな宣伝広告と一体になって消費財産業が発展する時代となるが、その背景には卸売業の興隆があった。東京小間物卸商組合が、三年前の明治三六年に化粧品の名称を組み入れ、「東京小間物化粧品卸商組合」と改称し本格的な化粧品卸売への取組みが開始される。犬山の『創業70周年史』によれば三九年には化粧品専業卸店も出現したとある。また、明治四〇年代は、化粧品本舗で新興勢力が創業、四〇年には黒龍堂、カッピー田端豊香園、四一年オペラ中村信陽堂、加美乃素本舗、四二年牛乳石鹸、四三年井田共栄堂(メヌマポマード本舗)など相次いでいる。当時の化粧文化では髪形にも日露戦争の影響が現れる。明治から大正に流行したひさし髪は、髪のふくらみやまげの高さが、時代と年齢、職業、好みなどを反映しているが、当時は日露戦争の影響で髪形「二〇三高地」が流行した。この髪形は極端に高いまげで、旅順要塞攻防の同名の激戦地から由来したものであり、旅順要塞同様に難攻不落な女性を抑楡したものともいわれている。
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